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ごあいさつ

ごあいさつ
藤崎潤(戦没者:大東勇曾孫)
継承歌『野末の露』 間奏の言葉
秋の町内文化祭にて
秋の町内文化祭にて

本日はご高覧頂きありがとうございます。

 

兵庫県遺族会青年部設立発起人の藤崎と申します。 

 

本ページは、今まで殆ど語られる事のなかった、長く辛い戦時下を乗り越えられた神戸市北区にある大沢町、その地域住民一人一人の、伝える事が出来なかったメッセージ。そのメッセージを代弁者として、不肖わたくし藤崎潤が、神戸市北区大沢町をはじめ、一人でも多くの方々に先人たちの戦争体験を後世に語り継いで行きたい、自分たちの家族について知ってもらいたいとの思いより、開設いたしました。

 

 

神戸と言えば大きな港町ですが、私が居を構える大沢町は神戸の港から見て六甲山の裏に位置し、人口も1000人を少し越える程の小さな町で、今も悠久の歴史文化が人々の間に生き続け、豊かな自然に囲まれた山間の美しい町です。大沢町では今も地域住民によって、戦没者追悼慰霊祭が毎年4月に執り行われ、平成28年4月23日を以って80回目となりました。

 

 

日清日露から大東亜戦争の間に、小さな町から554名もの方が出征され85名もの方が野末の露と散華されました。夫や息子を戦場へと送り出し、無事の帰還を願い、町全体が硬い結束の元、長く辛い戦時下で銃後を守り、多くの犠牲を出しながらも懸命に乗り越えてこられました。

 

私も曾祖父を東部ニューギニア(現在のパプアニューギニア)で無くし、曾祖母や祖母から、お爺さんの事、戦時中の事を幼少より日々色々と聞かされて育ってきました。ですが、そういった多くの犠牲、長く辛い日々の上に、今日の我々が生かされ、この平和を享受できている事を、今を生きる多くの日本人が知りません。

   

豊かな自然に囲まれた大沢町 光山寺より
豊かな自然に囲まれた大沢町 光山寺より
大沢町民として、日本人として
曾祖父 大東勇 支那事変出兵時
曾祖父 大東勇 支那事変出兵時

戦後多くの日本人は、300万人以上もの犠牲を出したにもかかわらず、日本人として戦争についてきちんと学ばず、真剣に正面から向かうことなく、敬遠してきました。それはどうしてなのでしょうか。

 

憲法や日本の安全保障等、その是非をめぐって賛否が問われていますが、専門家を含め多くの日本人がきちんとした歴史的事実や周辺諸国の現状を踏まえず、日本のための議論になっていませんが、ここではあえて深く言及いたしません。

 

ただ、現行憲法制定や戦後GHQ統治に様々な経緯や問題があったにせよ、二度とあの悲惨な戦争を日本が起こしてはならない、との強い決意は、日本人全員が一致して感じるところであると思います。

 

ですが、多くの日本人がきちんとした自分達の国の歴史を知らず大きくなり、敗戦国だから仕方ないと言い訳にして事実から目を背け続け、戦争の時代そのものを忌み嫌い、多くの事を語ってきませんでした。

 

どうして戦争は起き、それによって何が引き起こされ、その時代を人々はどう乗り越えたのか。そして、日本はどうして敗戦し、戦後どの様な結果をもたらしたのか、日本全体が巻き込まれた戦争について我々は知らねばなりません。何故なら我々は今、その残酷で惨たらしい戦争の上に立っているのですから。 

 

人が人の命を当たり前に奪う戦争は、これほど非人道的なモノは他に無く、忌むべきものであり、到底許されざる蛮行である事は忘れてはなりません。

 

ですが、時の経過とともに戦争の記憶は薄れ、遠い異国の地で散華された方、長く辛い戦争期を戦って来られた方、残された御家族や友人お一人お一人が、我等後世の日本人に伝えたかった思いが語られず、注目されることなく、今日まで長年置き去りにされてきました。

 

戦後多くの専門書が出版され、実際に戦地へ赴かれた一部の方は、自ら手記を出版され、発信されてきました。ですが、殆どの方が、長く辛い戦時中の経験を語らずに、胸に秘めたまま亡くなられ、御存命の方も90歳前後と御高齢で、お話すること自体が困難な状況になってきました。

 

そこで、教科書の様な大きな歴史の流れではなく、その時代を生きた町民一人一人に着目しました。戦時中どの様な体験をされたか、史料や遺品・薄れゆく記憶を収集し、一人一人の足跡を丁寧に検証致しました。

 

今後の展開
大沢中学校生とやまびこ会合同合唱 慰霊祭にて
大沢中学校生とやまびこ会合同合唱 慰霊祭にて

どの様な体験をなされたのか、戦争で戦没された方はさることながら、無事帰還された方、町で銃後を守り長く辛い戦争を多くの犠牲を出しながらも乗り越えられた町民の方々、その当時を懸命に生きた町民一人一人の足跡を丁寧に辿り、いつ、どこで、何をなされたのか、当時の町民の営みを理解し、そこから戦時中の大沢町全体の歴史文化を探ってきました。

 

大沢町内の遺品はもとより、無事戦地から生還された方々の壮絶な戦争体験談、町内の方が編集された手記、各種史料の収集・調査等から今は語られる事の無い先人達の言霊に耳を澄まし、その託されたメッセージを、年表や冊子といった形ある物として記録し、次の世代に、大沢町の歴史文化を伝えて行きたいと考えております。  

 

大沢町の御英霊85柱の方々について更に調査を進め、同時に無事帰国された方、地域の銃後の守って来られた方々等、町民一人一人について調べ伝えて行きたいと考えています。また、お預かりした遺品や史料に町外や県外の方々のお名前が記されたものがあり、また調査の上で大沢町のみならず周辺地域や、兵庫県、大それたことですが日本全体との関わりも今後増えてくる事と思います。

 

特に、近年軽薄化しつつある自分たちの『家族』や『地域』、『日本の国』と、自分達との繋がりを『戦争・歴史文化』という時間の流れを通して、自らのものとして捉えることが出来る様な視点を養う、気づいて頂けるような、お手伝いをしたいと考えています。

 

今後は、おじいさん・おばあさんより託されたメッセージの代弁者として、広く今日を生きる町内外の方々に伝え、戦争と言う非人道的な蛮行を二度と繰り返さない為にも、年表や冊子と併せて、ホームページや講座を企画し情報発信を行う事で、きちんとした歴史を後世に伝える。そのお役に立てればと思います。

 

日本人としての自覚と誇りを持ち、過去と未来を繋ぐパートナーシップ役として今を生きる日本人の責務を全うする為にも、今後も戦争体験継承活動を所存です。

 

今後もご支援、ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。 

    

戦後70周年祈念冊子

伝えたい、大沢町出征兵士からのメッセージ
伝えたい、大沢町出征兵士からのメッセージ

大沢町 慰霊アルバム

慰霊祭動画 合唱

再生する際は音量に注意して下さい。