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取り組み

↑平成27年9月9日に行われた神戸市北区出身戦没者慰霊祭にて



上記慰霊祭以外に芸術祭等において、体験談や遺品、史料、調査等についてのご報告や戦争体験の継承の為に展示解説を開催させて頂いております。


北区戦没者慰霊祭では、改訂し製作しなおした年表、祈念冊子、遺品、アルバム写真、軍事郵便等を展示致しました。


また、神戸市北区内に点在する、忠霊塔や忠魂碑の実態を把握する為に、事前調査を行いました。併せて各自治体毎の御英霊の数等も調査、それをパネル化したものを展示いたしました。


他にもご覧頂きたい貴重な品がありましたが、

スペース等の問題から、お預かり所有する遺品の一部公開となりました。


参列されたご遺族の方々をはじめ、フルーツパークの一般来客の方々にもご覧頂く事が出来、多くのご質問や激励、お褒めのお言葉を頂戴いたしました。本当にありがとうございます。


ご覧になった方々はちろん御英霊の為にも、更なる充実化を図る次第です。戦争体験の導入としても、更に知識を深めて頂くためにも、見やすく理解しやすい展示会を開催していきたいと考えております。


この度は開催に至り、北区遺族会会長 小西様、湯泉神社宮司 別所様、大沢町遺族会会長 北本様をはじめ、多くの方々にご支援を頂戴いたしました。

また、北区一円の忠魂碑の調査に祭しては、各自治体の遺族会会長様に貴重な情報や御助力を賜りました。

この場をお借りして御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

←サンテレビで放映された映像を事前にご覧頂いた。


平成27年8月4日、北区大沢町で開催された、

北区役所の主催で行われた中学生向けのフィールドワーク授業『地域を知ろう!~フィールドワーク in大沢~に』おいて、戦後70年となる節目のこの年、平和授業という事でその講師として、恐れ多くもその講師とて講座をさせて頂きました。


当方久方ぶりの講座・プレゼンテーションと言うこともあり緊張仕切りで、未だ反省点が多く改善の余地がありますが、私にとっても大変勉強になる講座でした。


生徒の皆さんのお一人お一人には必ず、4人の祖父母、8人の曽祖父母が必ずいらっしゃるわけであり、それは私を含め全ての人もそうであるように、そう遠くない先祖・先人の全て方々が何かしらの形で、先の大戦で壮絶な体験をされている事を軸に、お話をさせて頂きました。


北区一円の事前の調査とその資料、遺品等を持ち込み講座をさせて頂いたのですが、

遠い白黒の歴史としてでしか戦争を知らない若い世代に対して、

導入・興味を持つ上で、映像や遺品、資料等、目で見て実際に感じ取れるモノの重要性、世代に併せた講座内容の重要性を改めて感じさせれました。


今後も学校や教育関係の方々より講座依頼を頂戴しており、少しでも皆様のお役にたてる事が何よりの喜びです。

 

最後になりましたが、開催に際して多大なるご協力を頂戴した、大沢中学校校 淺野校長先生をはじめ、多くの学校先生方にこの場をお借りして、御礼申し上げます。

ありがとうございました。

戦争体験継承冊子 伝えたい、大沢町出征兵士からのメッセージ

~戦場に野末の露となったおじいさん達のいのち~

数十枚のバラバラの写真で撮影し、おじいさん達一人一人の思いが現在の大沢町を形作っている事を表現した表紙
数十枚のバラバラの写真で撮影し、おじいさん達一人一人の思いが現在の大沢町を形作っている事を表現した表紙

   

大沢校のグラウンドから見える、やすらぎの丘『忠霊塔』。大沢町にある忠霊塔は周辺の地域の中でも特に大きなもので、国内にある忠霊塔の多くが占領軍(GHQ)によって除去されたが、大沢町の場合は当時助役(大沢町役場)をされていた山本政雄さんが私が全責任を負うと、毅然と反対されたた為除去されずに残ったそうです。


そこには、大東亜戦争で戦没された英霊の方々が祀られており、大沢町で生まれ育った方は、一度は訪れた事があるのではないでしょうか。

 

ですが、「小学校や、中学校の頃に行ったきりで最近は行っては無いが、戦争で亡くなった大沢の人が祀られている事はしっている。」と、忠霊塔について思われている方が多いのが現状です。

 

では、「忠霊塔には何名の方が英霊として祀られているのか。」その問いに対して、答えられる方が時の経過とともに減り、かくゆう私も最近まで答えられない一人でした。


太平洋戦争の終結から今年で67年が経とうとしています。我々のような戦争の知らない世代が増え、戦争下を生き延びた人々の記憶が、時々刻々と薄れ、今まさに忘れ去られようとしています。私も曾祖父をパプアニューギニアで亡くしていますが、大沢町からは、557名もの方が戦地へと向かわれ、85名のもの尊い命が野末の露と散華されています。同時に、帰郷された方々も、九死に一生を得、我々では想像もつかない凄まじい体験をされて、戦時下を乗り越えてこられました。

 

ですが、私は戦争を知りません。そんな私も、町内から提供して頂いた、遺品や著書、体験談等を通して戦争を知り、それがいかに惨たらしく、許されざる行為なのか理解出来るようになりました。

冊子概要

本書『伝えたい、大沢町出征兵士からのメッセージ』では、戦後出版された、戦争に関する書籍にある専門的な記述は控えめにし、戦争下を生き抜いた我々と同じ大沢町民の方々お一人お一人を中心に据え、戦争に関する検証を行っています。

 

提供して頂いた品から得た情報を整理し、戦争でおじいさん達は『何を見』『どの様な思いをし』『どうして命を落とさなければならなかったのか』『どのような思いで帰ってこられたのか』、おじいさん達が伝えられなかったメッセージを代弁者として、皆さんにお伝えしたいとの思いからまとめています。


本書では、提供頂いた資料等より『南洋・海戦編』『東部ニューギニア編』『ビルマ編』『シベリア抑留編』と、大きく分けて四編に分け事例研究(ケーススタディ)を行い、其々の場所で語りかけてくる、大沢町出征兵士からのメッセージを皆さんにお伝えしています。

 

また戦後、町内で執り行われた慰霊や戦地巡礼、銃後を守り大澤村を守った方々についても触れ、大沢町全体としての戦前・戦中・戦後・現代までの歴史を一貫して見て取れるよう編纂しています。

 

本書は成長する冊子です。

 

平成23年に初版を出版しましたが、本年27年には改訂版を再版いたしました。

 

平成23年の編集後、戦争に関する新たな情報や要望を地域方々から頂戴しました。この冊子編集を契機に、町内で戦争の平和に対する意識が向上し、それが更にこの冊子の情報充実に繋げれるよう、23年度版ではバインダー止めとしていました。

 

本年27年に発行したものは書籍形式となり一応の区切りとしておりますが、戦後80年、100年に際してはより内容を充実させたものを、皆さんにお伝えすることが出来ればと考えております。

 

戦争は人々から大切なもの全てを一瞬で奪い、残虐で、非人道的なものは他にありません。我々はインターネットを通して、いつでも自由に、世界中の人々との相互理解を深めるだけの機会も技術を得たのにも関わらず、世界は未だなお、戦争を行い、争う事を辞めようとはしていません。


本書を通して、戦争を知り、平和の尊さや、人間の尊厳、命の大切さ、を考える契機となり、先人たちのメッセージを後世に伝える資料として活用して頂ければ、私にとって何よりの喜びです。

2011年展示、発表の様子
2011年年表展示、発表の様子 後ろに見えるのが製作した年表
年表:おじいさん達は、それでも戦争へ行った
年表:おじいさん達は、それでも戦争へ行った

この年表は、辛く長い戦時下における大沢村民の日々の営みを一年ごとに分け重ねていく事で、戦時下における大沢町の歴史文化を『時の重なり』として表現致しました。個々が蛇腹状に連結されているので小さく折り重ねられ、持ち運びが容易に出来るよう制作致しました。よく見かける固定の年表ではなく、多くの方に大沢町における戦争の歴史文化を知って頂きたいがため、この様な独自の構造を持つ年表となりました。

 

遺族会副会長の北本様が編集された『大澤村婦人会上大澤支部日誌にみる太平洋戦争』を元に、2011年、大沢町戦没者追悼慰霊祭七五周年を記念して制作したものです。(戦時は兵庫縣有馬郡大澤村―現在は兵庫県神戸市北区大沢町となっている)日誌は昭和七年から昭和二十二年までの刻々と変化する戦時下において、当時の大沢町民全員がどのような環境下におかれ、生活し、どう行動したのかが克明に記してあります。これを通して、戦時下における大沢町民の『銃後の守り』がどういうものだったのか、うかがい知ることが出来、大沢町の歴史文化を現代に伝えるものとして大変貴重な史料となっています。


それを更に検証・調査し、戦時下における大沢町の歴史文化を一人でも多くの方に知って頂きたいという思いの元、その発信方法の一つとして年表を制作しまとめました。


年表内の文章は、あえて日誌に記された文面を、出来るだけ忠実に再現する事に努め、当時の支部長様をはじめ、大澤村民の息遣いや、大澤村の文化を、文面から直接感じて頂きたかった為、このような手法をとっています。内容は出征や戦没者の記述、村の催事に関するもの、村からの供出等多岐にわたるものですが、容易に村民の営みを見て分かるよう色を用いて分類わけを行っております。

 

この様に、年表として整理し分析することで、戦時下の村民の息遣いを、時を追って見て取ることが可能となり、世界や日本であった事象が村民生活にどの様な影響を及ぼしたのか、戦時下をどの様に乗り越えてきたのか、といった世界との相互関係や、そこから見えてくる新たな情報もさることながら、文章を視覚的に捉える事で、年度毎の文章量の違いが、あたかも人の営みが作り出した波のように見て取れ、文章を読まずとも、戦時下における、日々の村民の営みが、一目見て理解できるよう制作致しました。

パンフレット 戦没者慰霊祭用

毎年開催される大沢町戦没者追悼慰霊祭の際に、参列される方々にお配りするパンフレットです。


掲載内容としては、『継承歌 野末の露』の歌詞、『間奏のことば』継承歌野末の露の合唱時に遺児や町内の毎年異なった方々が、散華された御英霊に向けたメッセージ

『ふるさと』や本年は神戸ということもあり『しあわせ運べるように』等の歌詞を掲載しております。

戦後70周年祈念冊子

伝えたい、大沢町出征兵士からのメッセージ
伝えたい、大沢町出征兵士からのメッセージ

大沢町 慰霊アルバム

慰霊祭動画 合唱

再生する際は音量に注意して下さい。